歴史学習帳 テーマ編
天皇の正統性と
三種の神器
神話はどう書かれ、
しるしはどう守られてきたのか
鏡剣勾玉
数字や年はおおよその目安です/挿絵:Geminiで生成した想像図もう少しくわしく
8世紀に書かれた二つの歴史書『古事記』『日本書紀』と、そこに出てくる三つの宝。この二つを一本の流れでたどります。権力者が何度替わっても、正統性のしるしは天皇家の手を離れなかった、という点に注目してください。
第1部 物語を書く
神様の物語?
いいえ、政治の書。
『古事記』『日本書紀』は、神話の本である前に、「天皇がこの国を治める理由」を説明するために、国が作った本。
もう少しくわしく
昔話として読むと見落とすのは、誰が・何のために書かせたか、という点です。この見方で読むと、神話の一つひとつに役割が見えてきます。
第1部 物語を書く
二冊の比較
| 古事記 | 日本書紀 | |
|---|---|---|
| 成立 | 712年 | 720年 |
| 編者 | 太安万侶(稗田阿礼が語ったものを書き取る) | 舎人親王ら |
| 巻数 | 3巻 | 30巻(系図1巻は失われた) |
| 書き方 | 漢字で日本語を書く(変体漢文) | 中国の歴史書にならった漢文、年ごとに書く |
| 性格 | 天皇家の由来を一本の物語に | 国の正式な歴史(六国史の最初) |
| 異説 | ほぼ載せない | 「一書に曰く」で別の説を並べる |
もう少しくわしく
「古事記は国内向け、日本書紀は国外向け」とよく言われますが、これは一つの説です。確かなのは、日本書紀が中国の正史の形にならって作られたことです。古事記は正史(六国史)には入りません。
第1部 物語を書く
なぜ作られたのか
壬申の乱
勝った天武天皇が、新しい国づくりを始める
ばらばらの伝承
豪族ごとに、伝わる系図や物語が違う
天武天皇の命令
誤りの多い帝紀・旧辞を正しく定めさせる
記紀の完成
「天皇家が治める理由」が一つにまとまる
二冊とも、内乱に勝った天皇のもとで始まった事業。
もう少しくわしく
古事記の序文には、天武天皇が「各家に伝わる帝紀・旧辞は誤りが多い」として、正しいものを定めようとしたと書かれています。日本書紀も、天武天皇の命令(681年)がはじまりとされます。
第1部 物語を書く
神話から歴史への「グラデーション」
どこかで急に「歴史」が始まるのではなく、神々から天皇へ、少しずつ地続きになるように書かれている。
(推古・天武・持統)神と人のあいだ
(神武〜)神々の世界
もう少しくわしく
記紀では、天皇の系譜が神々から途切れずにつながっています。神の子孫だから治める、という理屈を、物語の形で示しているわけです。日本書紀は本文のほかに「一書に曰く」として異説も並べます(主に神代の巻)。ただ、本文が朝廷の公式の見解であることは変わりません。
第2部 しるしを授ける
三種の神器とは
八咫鏡
やたのかがみ本体は伊勢神宮(内宮)に祀られているとされる
草薙剣
くさなぎのつるぎ本体は熱田神宮(名古屋)に祀られているとされる
八尺瓊勾玉
やさかにのまがたま皇居に置かれているとされる
天皇の位を受け継いだしるし。実物は天皇も見ないとされ、形も大きさも公にされていない。
もう少しくわしく
三つをまとめて「三種の神器」と呼びます。剣と勾玉の二つは「剣璽(けんじ)」とも呼ばれ、天皇の代替わりで受け継がれます。ここから、この三つが神話の中でどう生まれ、どう天皇家の祖先に渡ったのかを見ていきます。
第2部 しるしを授ける
神話の舞台
- 神武天皇の東征
- ヤマトタケルの道(行き)
- ヤマトタケルの道(帰り)
- 伝承地
天から降りるのは九州、国を譲るのは出雲、都を開くのは大和。記紀に出てくる場所を「ここ」と伝える土地です。
出雲諏訪
高千穂宇佐
岡田宮安芸
吉備熊野
難波橿原
伊勢熱田
伊吹山焼津
東国
もう少しくわしく
高千穂は、ニニギが天から降りてきた場所で、神武天皇もここ(日向の高千穂宮)から東へ向かいます。宇佐(豊国)、岡田宮(筑紫、今の北九州市)、埃宮(安芸)、高嶋宮(吉備)と瀬戸内を進み、難波で敗れて紀伊半島を回り、熊野から大和の橿原へ。各地にとどまった年数は記紀で違います。ヤマトタケルは伊勢で剣を授かり、焼津を通って東国へ向かい、帰りに尾張の熱田に剣を置いて伊吹山へ向かいます。高天原は天上の世界なので地図には載せていません。
第2部 しるしを授ける
天岩戸
鏡と勾玉
スサノオの乱暴に怒ったアマテラスが岩戸に隠れ、世界が闇に
神々が鏡と勾玉を作り、岩戸の前で祭りをする
鏡に映った自分を「より尊い神」と思ったアマテラスが身を乗り出し、光が戻る
もう少しくわしく
古事記では、鏡を作ったのは伊斯許理度売命(いしこりどめ)、勾玉を作ったのは玉祖命(たまのおや)。光を取り戻す道具として生まれた鏡が、のちに「アマテラスそのもの」として扱われるようになります。天上の話なので、場所の地図は置いていません。
第2部 しるしを授ける
ヤマタノオロチ
剣
高天原を追われたスサノオが、出雲でオロチを退治する。尾から一振りの剣が現れ、スサノオはこれをアマテラスに献上した。
古事記:この場面から草那芸之大刀
日本書紀:天叢雲剣 → のちに草薙剣

もう少しくわしく
古事記はこの場面からすでに「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」と呼びます。日本書紀は「もとの名は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で、ヤマトタケルのときに草薙剣と改めた」と注に書きます。献上した理由は書かれていないので、「おわびのしるし」とするのは後の人の読み方です。
第2部 しるしを授ける
国譲り
出雲から天の神へ
地上を治めていたのは、出雲のオオクニヌシ
天の神々が使者を送り、「この国は天の神の子孫が治める」と迫る。力比べに負けた子のタケミナカタは諏訪へ
大きな社に祀られることを条件に、国を譲る

もう少しくわしく
平和な話し合いだけではありません。古事記では、タケミカヅチがオオクニヌシの子タケミナカタを力比べで負かし、諏訪まで追っています。それでも負けた側を悪者として消さず、大きな社で祀った。古事記の上巻は、およそ3分の1が出雲の神々の話にあてられています(日本書紀の本文には、因幡の白兎など大国主の話はほとんど入っていません)。
第2部 しるしを授ける
天孫降臨
しるしを授ける
アマテラスの孫ニニギが、日向の高千穂に降りる。そのとき鏡・剣・勾玉が授けられた。神から天皇家の祖先へ、しるしが手渡された場面。
授ける場面は、古事記と日本書紀の「一書」にある。日本書紀の本文にはない。

もう少しくわしく
アマテラスが「わが魂と思って祀りなさい」と言ったのは鏡についてで、三つまとめての言葉ではありません。この鏡の言葉が、のちに伊勢神宮で鏡を祀ることにつながります。なお、天孫降臨で神代が終わるわけではなく、神代はニニギの子・孫の代まで続きます。
第2部 しるしを授ける
神から人へ
神武天皇
ニニギのひ孫。九州から東へ進み、熊野から八咫烏に導かれて大和へ。橿原で初代天皇となる。ここから「人代」。
ヤマトタケル
伊勢で叔母のヤマトヒメから剣を授かり東国へ。火を放たれた野で草を払って助かる。剣を尾張に置いて伊吹山へ向かい、命を落とす。残された剣を祀ったのが熱田神宮のはじまり。

もう少しくわしく
神武は東へ進む途中、難波から大和に入ろうとして敗れ、紀伊半島を回って熊野から入ります。草を払った場所は、古事記では相模、日本書紀では駿河(焼津)。剣を手放したあとに命を落とす流れから、「剣は治める者の手もとにあるべきもの」と読むこともできます。
第3部 しるしが試される
「本体」と「形代」
| 神器 | 本体があるとされる場所 | 宮中にあるもの |
|---|---|---|
| 八咫鏡 | 伊勢神宮 | 形代(賢所) |
| 草薙剣 | 熱田神宮 | 形代(剣璽の間) |
| 八尺瓊勾玉 | 皇居 | 本体(剣璽の間) |

このあと事件で「失われた」「奪われた」のは、宮中の形代や勾玉のほう。それでも、本体と同じ重みで扱われた。
もう少しくわしく
日本書紀によると、崇神天皇のとき、アマテラスを宮中で祀るのを畏れて外に移し、やがて伊勢に落ち着きました。『古語拾遺』は、このとき鏡と剣の形代(分身)を作って宮中に残したと伝えます。
第3部 しるしが試される
神器がたどった道
- 1183年 平氏とともに西へ
- 1336年・1443年 吉野へ
- 実際の出来事の場所
神器は都を出るたびに、天皇が二人並ぶ事態を生んだ。西へ動けば源平、南へ動けば南北朝。
京都壇ノ浦(1185)
吉野伊勢
熱田(668)皇居(いま)
もう少しくわしく
神器の事件は、京都を中心に起きています。1183年に平氏とともに西へ向かい、1185年に壇ノ浦で剣が失われました。1336年には後醍醐天皇とともに吉野へ、1443年には奪われた勾玉が吉野の山奥へ運ばれます。668年には熱田の剣が盗まれかけました。今は剣と勾玉が皇居に、鏡と剣の本体が伊勢と熱田にあります。
第3部 しるしが試される
神器がたどった道(年表)
- 668熱田の剣が新羅の僧・道行に盗まれかけ、取り戻される
- 960内裏の火事で宮中の鏡が焼ける(このあとも何度も)
- 1183神器が平氏とともに西へ。後鳥羽天皇は神器なしで即位
- 1185壇ノ浦で安徳天皇とともに沈み、剣が見つからない
- 1210ごろ伊勢神宮から献上された剣を、新しい宝剣とする
- 1336後醍醐天皇が吉野へ。「北朝に渡したのは偽物」と主張
- 1392南朝から北朝へ神器が渡り、南北朝が一つに
- 1443南朝の再興をめざす人々が内裏を襲い、剣と勾玉を奪う
- 1458奪われた勾玉が京都へ戻る
- 2019今の天皇の即位でも、剣と勾玉を受け継ぐ儀式が行われる
もう少しくわしく
大きな事件は、権力が大きく動いた時代に集中しています。源平の戦い、南北朝の分裂、室町時代の南朝の残党の動きです。
第3部 しるしが試される 1183〜1185年
天皇が二人、神器は一組
安徳天皇
平氏とともに西国へ神器を持っている。
でも、都にはいない。
後鳥羽天皇
後白河上皇が京都で立てる都にいる。
でも、神器を持っていない。

しるしと、都で実権を握る上皇の決定。このときは、上皇の決定が勝った。
もう少しくわしく
後鳥羽天皇は、上皇の命令を根拠に神器なしで即位しました。しるしと、都で実権を握る上皇の決定。どちらが天皇を決めるのかが問われた最初の大きな場面です。剣を欠いたまま天皇になったことは、後鳥羽にとって生涯の負い目だったともいわれます。
第3部 しるしが試される 1185年
神器が
海に沈んだ日
鏡 引き上げられた
勾玉 箱ごと浮かび、回収された
剣 見つからなかった
失われたのは宮中の剣の形代。熱田神宮の本体は無事だったとされる。

もう少しくわしく
平氏が敗れた最後の戦いで、清盛の妻・時子(二位尼)が数え8歳の安徳天皇を抱き、神器とともに海に身を投げたと『平家物語』は伝えます。朝廷は剣を捜し続けましたが見つからず、のちに伊勢神宮から献上された剣が、新しい宝剣とされました。それでも「天皇とともに神器の一つが失われた」ことは、当時の人々に大きな衝撃を与えました。
第3部 しるしが試される 1336〜1392年
どちらの神器が本物か
後醍醐天皇が、足利尊氏の立てた北朝の天皇に神器を渡す
吉野へ移り、「渡したのは偽物、本物はここにある」と主張(南朝)
南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇へ神器を渡し、一つになる

実物を誰も見ないことが、かえって「どちらが本物か」を決めにくくした。
もう少しくわしく
天皇が二人並んだ約60年、「本物」がどちらにあるかが正統性の争いの中心でした。合一をまとめたのは3代将軍・足利義満で、神器を渡す形をとることで、北朝の天皇が正しく位を受け継いだことにしました。今の天皇家は北朝の系統ですが、明治時代の終わりに南朝が正統と定められた、というねじれもあります。
第3部 しるしが試される 1443〜1458年
南北朝が終わっても、神器は狙われた
1443年 禁闕の変。南朝の再興をめざす人々が京都の内裏を襲い、剣と勾玉を奪った。
剣 まもなく見つかる
京都の清水寺で見つかり、内裏に戻された
勾玉 15年、南朝方の手に
吉野の山奥へ。1458年、赤松氏の旧臣たちが取り返し、京都へ戻した(長禄の変)

もう少しくわしく
赤松氏は、将軍・足利義教を暗殺して家を取りつぶされていました。勾玉を取り戻した手柄で、赤松家は再び大名として認められます。神器が、一族の運命を左右する「手柄」の対象にもなったのです。
第3部 しるしが試される
しるしの意味づけが変わる:三つの徳
| 神器 | 『神皇正統記』(14世紀・北畠親房) | 江戸時代の儒学の読み方 |
|---|---|---|
| 鏡 | 正直 | 知 |
| 勾玉 | 慈悲 | 仁 |
| 剣 | 智恵(決断) | 勇 |
剣が「智恵」から「勇」に入れ替わっている。意味づけは、その時代が天皇に何を求めたかを映している。
もう少しくわしく
神話の中では「神から授かった宝」だった神器に、のちの時代の人々は「治める者が持つべき徳」という意味を重ねました。『神皇正統記』は南北朝の争いのさなかに南朝の側から書かれた本です。江戸時代には、儒教の「知・仁・勇」に当てはめる読み方が広まりました。
第3部 しるしが試される いま
今も、代替わりで
受け継がれる
剣璽等承継の儀
新しい天皇が、剣と勾玉、国の印(国璽)と天皇の印(御璽)を受け継ぐ。2019年5月1日にも行われた。
見せない宝
儀式でも、剣と勾玉は箱に収められたまま。中身が人の目に触れることはない。

もう少しくわしく
鏡は伊勢神宮と宮中の賢所に祀られているため、儀式の場には運ばれません。今の儀式の形は明治の登極令(1909年)を元にしていて、この名前で行われたのは平成の代替わり(1989年)からです。形は変わっても、しるしを受け継ぐことで位を継いだと示す考え方は続いています。
まとめ
権力ではなく、正統性のしるし
中国の玉璽
皇帝の印。王朝が替わるたびに新しい王朝へ渡った。手に入れることが「天命が移った」証になった。
日本の三種の神器
争ったのは、いつも天皇家の内側。藤原氏も平氏も将軍も、神器を自分の位のしるしにしようとはしなかった。
もう少しくわしく
記紀が「天皇が治める理由」を書き、神器がその理由を目に見えるしるしにしました。実権が誰の手にあっても、しるしは天皇家に置かれ続けた。三種の神器の歴史は、日本の権力の移り変わりを裏側から見る窓です。『日本史の地図年表』の各章と合わせて見てください。