日本史の地図年表 和

日本史の地図年表

王朝が一度も替わらなかった国で、権力は誰がどうやって握ったのか。時代を選ぶと、その頃の地図と「力の出どころ」が見えてきます。地図はおおまかな模式図です。
個人の学習ノートです。数字や年はおおよその目安として見てください。

日本の時代ごとの模式図

    境界線は流れをつかむためのおおまかな線です。正確な国境や支配範囲ではありません。

    キーワード
    力の出どころ

    時代の流れ

      ポイント

        なぜ政権が移ったのか

          知ってるとツウな小ネタ

            この時代を舞台にした作品

              人物図鑑

              天皇制のキーポイント

              どの時代にも関わる、天皇という仕組みそのものについての要点。

              神話から歴史へ

              天皇の系譜は、神話から始まり、だんだん歴史に「接続」していく。

              1. 初代
                神武天皇

                『日本書紀』では紀元前660年に即位したとされるが、これは伝説上の年。のちに中国の暦の考え方をもとに逆算して決めたと考えられている。

              2. 2〜9代
                欠史八代

                名前と系譜しか伝わらない。初期には100歳を超える天皇が何人もいて、そのまま事実とは考えにくい。

              3. 10代
                崇神天皇

                『日本書紀』に「初めて国を治めた天皇」とも書かれ、実在した最初の大王ではないかという説がある。

              4. 21代
                雄略天皇

                中国の歴史書(倭王武)や刀剣の文字(ワカタケル大王)という、外の証拠で確かめられる。

              5. 26代
                継体天皇

                ここから先の系譜は、ほぼ確かだと考えられている。

              呼び名にも注意。「天皇」という称号が使われはじめるのは7世紀後半の天武・持統天皇のころで、それまでは「大王(おおきみ)」と呼ばれていた。「〜天皇」という名前や何代目という数え方は、後の時代に整えられたもの。弘文天皇(大友皇子)が加えられたのは明治時代で、南北朝の北朝の天皇は代数に入っていない。

              外の証拠で確かめられる最初の大王が、中国の皇帝から称号を借りた倭王武だというのも、このシリーズの視点から見ると興味深い。

              都の移り変わり

              飛鳥〜奈良時代には、都がひんぱんに移った。その移り方は、大きく三つの段階に分けられる。

              1. 〜7世紀
                大王ごとに宮が移る

                大王が代わるたびに、宮(住まい兼政治の場)を新しく作るのが普通だった。亡くなった場所の「けがれ」を避けた、大王ごとに支える豪族の本拠の近くに置いた、などの見方がある。

              2. 7世紀後半〜8世紀
                動かない「都」をめざす

                中国の長安にならい、碁盤の目の本格的な都を作りはじめる。それでも、政治の転換や危機のたびに都は移った。

                • 645難波宮:大化の改新の新しい政治の場
                • 667近江大津宮:白村江の敗戦後、唐に備えて内陸へ
                • 694藤原京:初めての本格的な都
                • 710平城京:律令国家にふさわしい大きな都
                • 740年代恭仁京・紫香楽宮・難波宮:疫病や反乱に揺れた聖武天皇が転々とする
                • 784長岡京:力の強くなった奈良の寺院から離れ、天智の系統として始め直す
                • 794平安京:長岡京で暗殺や災いが続き、もう一度移る
              3. 平安以降
                都は動かず、権力の場所が動く

                平安京は、明治時代に天皇が東京へ移るまで、約1000年にわたって都であり続けた(平清盛の福原遷都は半年ほどで京都に戻った)。そのかわり、鎌倉・室町(京都)・江戸と、幕府の置かれる場所が政治の中心として移っていく。

              遷都は「新しい政治を始める」という宣言だった。平安時代からは、天皇の都はそのままに、実権者が別の場所に自分の拠点を作るようになる。これも「天皇から借りる」構造の表れといえる。

              女性天皇

              女性の天皇は8人、のべ10代。そのうち6人・8代が、飛鳥・奈良時代(592〜770年)に集中している。

              • 飛鳥・奈良:推古、皇極(再び即位して斉明)、持統、元明、元正、孝謙(再び即位して称徳)
              • 江戸:明正、後桜町

              この時代に多かった理由として、次のような見方がある。

              • 兄弟で継ぐか親子で継ぐか、ルールがまだ決まっていなかった。有力な皇子が何人もいるときに女性が位につき、争いを避けた
              • 孫や子が育つまでの橋渡し。持統天皇は孫の文武天皇へ、元明天皇は娘の元正天皇を経て孫の聖武天皇へ位を渡した
              • 飾りではなかった。推古天皇は36年在位し、持統天皇は藤原京と律令づくりを進めた。天皇の妻として政治の経験を積んだ人が多かった

              770年の称徳天皇のあと、1629年の明正天皇まで約860年、女性の天皇は現れない。平安時代に、幼い天皇を摂政・関白が支える仕組みができ、女性の「橋渡し」が要らなくなったためという見方がある。江戸の2人も、男性の跡継ぎが幼いときなどの橋渡しだった。

              権力の移り変わりで見ると、女性天皇は「次に誰へ位を渡すか」を握る役目だった。その役目を、平安時代には外祖父の摂関家が引き受けることになる。

              日本史全体の小ネタ

              特定の時代ではなく、日本史を通して出てくる仕組み。

              正統性を借りるための道具

              中国の王朝は、禅譲や放伐で皇帝の位そのものを移した。日本の実権者は位には手を出さず、天皇から何かを借りる形をとった。

              • 官職:摂政・関白・太政大臣、征夷大将軍
              • 婚姻:娘を天皇に嫁がせ、外祖父になる
              • 家長の立場:上皇として、天皇の父・祖父の立場から指図する
              • 三種の神器:皇位のしるし。壇ノ浦では安徳天皇とともに海に沈み、宝剣は見つからなかった

              借りるだけなので、天皇家は残り続ける。その代わり、実権者が替わるたびに「誰が、何を借りているか」が変わっていく。

              外戚:中国と日本で正反対

              外戚とは、皇帝や天皇の母方の親族のこと。

              中国では、外戚が宮廷で権力を握ることは王朝が滅ぶお決まりのパターンの第一歩だった。前漢を乗っ取った王莽もその一人。

              日本では、外戚であること自体が権力の仕組みになった。藤原氏は位を奪わず、外戚の立場を代々受け継ぐことで、約200年にわたって政治の中心にいた。鎌倉時代の北条氏も、はじめは将軍の外祖父として力を得ている。

              借りたものを、さらに借りる

              鎌倉幕府の将軍は、天皇から征夷大将軍の位を借りた。源氏の将軍が絶えると、北条氏は都から摂関家や皇族の子を将軍に迎え、その将軍の下で執権として政治を動かした。

              天皇 → 将軍 → 執権、さらに北条本家(得宗)の家臣へと、実権はどんどん下へ移っていく。それでも上の位はどれも消されずに残った。