中国王朝の地図年表 新装版

中国王朝の地図年表

殷から現在まで、時代を選ぶとその頃の勢力の境界が地図に描かれます。地図はおおまかな模式図です。

統一王朝・政権 分裂期
殷(前1300年ごろ)
中国の時代ごとの勢力範囲の模式図

境界線は流れをつかむためのおおまかな線です。正確な国境ではありません。

殷(商)

前1600ごろ〜前1046ごろ

甲骨文字が残る、実在が確認できる最古の王朝

時代の流れ

    ポイント

      なぜ終わったのか

        知ってるとツウな小ネタ

          この時代を舞台にした作品

            中国史全体の小ネタ

            特定の時代ではなく、どの王朝にも出てくる仕組みや約束ごと。

            「帝位を譲らせる」=禅譲

            家臣が実権をすべて握ったうえで、皇帝から形式だけ「自主的に」位を譲ってもらうやり方。受ける側はわざと三回辞退してから即位するのがお約束だった。

            もとは伝説の聖王・堯が舜に、舜が禹に位を譲った美談がモデル。王莽・曹丕・司馬炎・楊堅などが、この形で前の王朝から位を受け継いだ。

            譲った皇帝のその後は時代しだい。後漢の献帝は譲位後も十年以上穏やかに暮らしたが、南北朝のころには、しばらくして殺される例が増えていく。

            王朝交代のもう一つの形=放伐

            暴君を武力で倒して位を奪うやり方。殷の湯王が夏を、周の武王が殷を倒したのが代表例。

            放伐は「相手が暴君だった」という理由が必要なので、悪いことをしていない皇帝から位を受け継ぐときは禅譲が選ばれた。最後の王が暴君として語られがちなのは、次の王朝が自分の正しさを示すために悪く書いた面もある。

            天命と易姓革命

            天は徳のある者に天下を治める「天命」を与え、徳を失えば別の家に移す、という考え方。王朝の家(姓)が易(か)わるので「易姓革命」という。

            禅譲も放伐も、この考え方で「天命が移った」と説明された。日本語の「革命」という言葉も、もとはここから来ている。

            王朝が滅びるお決まりのパターン

            1. 宮廷で外戚や宦官が権力を握り、政治が腐敗する
            2. 重税・大工事・遠征に、飢饉や疫病が重なって民が疲弊する
            3. 農民反乱が起きる(黄巾の乱、紅巾の乱など)
            4. 反乱を鎮めるために力を与えた武将が、そのまま独立する
            5. 北方の遊牧民族や、近代には列強の圧力が加わる

            三国志の始まり(後漢末)は、1〜4がほぼすべてそろった典型例。

            国名は古い名前の使い回し

            新しい王朝は、自分の領地の地名や、そこにあった昔の国の名前を国号にすることが多い。由緒ある名前を名乗ることで正統性をアピールした。

            • 漢:劉邦の左遷先「漢中」
            • 魏:曹操の本拠地「魏郡」(戦国の魏の地)
            • 晋:司馬昭の領地(春秋の晋の地)
            • 呉:春秋時代の呉の土地

            元・明・清は例外で、地名ではなく縁起のいい言葉から国号を取った。

            同じ名前の王朝の呼び分け

            同じ国号が何度も出てくるので、後の時代の人が「前・後」「東・西」「南・北」などをつけて区別している。当時の人はみんな、ただの「漢」「晋」「宋」と名乗っていた。

            • 前漢・後漢(中国では西漢・東漢)と、五代の後漢
            • 西晋・東晋
            • 南朝の宋と、趙匡胤の宋(北宋・南宋)
            • 周も、則天武后の周や五代の後周がある

            正統性を示すための道具

            中国の王朝は、力で奪うのと同じくらい「正しく受け継いだ」と見せることに力を注いだ。

            • 禅譲:前の皇帝から位を譲られた形をとる
            • 放伐:暴君を倒したという大義を掲げる
            • 仇討ち:清は「明の皇帝の仇・李自成を討った」と宣言して北京に入った
            • 国号:漢・魏・晋のように、由緒ある名前を名乗る
            • 玉璽:元の皇帝の印が、北元を経て清へ渡った
            • 正史を書く:明が『元史』を、清が『明史』をまとめた

            前の王朝の歴史書を書いて完結させること自体が、「天命は自分たちに移った」という宣言になった。逆に、武力だけで奪った五代十国の政権は、また武力で奪われる繰り返しになった。

            特別な歴史をもつ場所

            一つの時代に収まらず、清から現在まで扱いが変わってきた場所。

            上海

            1842年の南京条約で開港し、街の中にイギリスやフランスなどが管理する「租界」ができた。中国の法律が及ばない外国の飛び地のような区域で、国際的な金融都市として栄えた。中国共産党もフランス租界の中で結成された。租界は1943年に返還され、今は中華人民共和国の都市。

            台湾

            1683年に清の支配下に入り、1895年の下関条約で日本へ。約50年の日本統治のあと、1945年に中華民国が引き継ぎ、1949年に国民党の政府が移った。1980年代後半から民主化が進み、1996年から総統を住民が直接選ぶ。今も中華民国として自分たちの政府で治められている一方、中華人民共和国は台湾を自国の一部と主張しており、各国の立場が分かれている。

            香港

            1842年に香港島、1860年に九龍半島の先端がイギリス領に。1898年には新界が99年の借地となった。その期限に合わせて1997年に香港全体が中華人民共和国へ返還され、2047年まで独自の制度を保つ「一国二制度」が約束された。2020年の国家安全維持法以降、自治がどこまで保たれているかをめぐって評価が分かれている。

            マカオ

            16世紀半ばにポルトガル人が明から居住を認められ、19世紀に正式な植民地に。1999年に中華人民共和国へ返還され、香港と同じく一国二制度の特別行政区になった。ポルトガル風の建物が残る歴史地区は世界遺産。

            大連・旅順

            ロシアが借りていたが、日露戦争(1905年)で日本が引き継ぎ、「関東州」として1945年まで統治した。満洲を守る日本の軍(関東軍)の名前も、この関東州から来ている。

            青島

            1898年にドイツが借りて港を整えた。第一次世界大戦で日本が占領し、1922年に中国へ返還。ドイツ時代に始まったビール造りが今も続き、「青島ビール」として知られる。

            満洲(中国東北部)

            清を建てた満洲人の故郷。1932年に日本の関東軍が満洲国をつくり、清の最後の皇帝・溥儀を皇帝に立てた。1945年に満洲国は消滅し、多くの日本人が引き揚げや残留の苦難を経験した。

            モンゴル

            清が倒れた1911年に外モンゴルが独立を宣言し、のちにソ連の支援でモンゴル人民共和国(今のモンゴル国)となって中国から離れた。内モンゴルは中国に残り、今は内モンゴル自治区。

            チベット

            清が倒れたあと、ダライ・ラマ13世が独立を宣言し、事実上の独立状態が続いた。1950〜51年に中華人民共和国の支配下に入り、1959年にダライ・ラマ14世がインドへ亡命。今はチベット自治区。この地域の扱いは、今も国際的に意見が分かれている。

            新疆(ウイグル)

            18世紀に清が征服し、1930〜40年代には独立政権ができたこともある。今は新疆ウイグル自治区。ウイグルの人々への政策をめぐって国際的な批判があり、中国政府はこれに反論している。