色の範囲は流れをつかむためのおおまかな線です。正確な国境や支配範囲ではありません。
中国の皇帝には冊封の王として、薩摩の島津には家来として。琉球の王国は「二つに仕える」ことで生きのび、やがて日本の県になり、アメリカに治められ、また日本へ戻りました。時代を選ぶと、その頃の地図と「力の出どころ」が見えてきます。
個人の学習ノートです。年や数字、地図の範囲はおおよその目安としてご覧ください。
色の範囲は流れをつかむためのおおまかな線です。正確な国境や支配範囲ではありません。
歴史学習帳シリーズの大きなテーマは「権力の移り変わり」。中国・日本・朝鮮半島・琉球では、権力者が正統性を手に入れるやり方がそれぞれ違いました。
天命を失った王朝に代わって、新しい家が皇帝の位そのものを手に入れる。王朝の名前が替わる。
天皇の位には手を出さず、天皇から官職を借りて実権を握る。王朝は替わらない。
国の中は自分で治め、外では中国の皇帝に王として冊封してもらう。
中国の皇帝に冊封されながら、1609年からは薩摩の島津と徳川幕府にも従う。二つの主に見捨てられないことが、小さな王国の生きのびる道だった。近代には、仕える相手が日本、アメリカ、また日本と入れ替わる。
特定の時代ではなく、琉球・沖縄の歴史を通して出てくる仕組み。
新しい王が立つと、中国の皇帝は冊封使を送り、首里城で王に任じる儀式を行った。冊封使の一行は数百人、那覇に半年ほどとどまった。
もてなしの宴で演じられた踊りや組踊は、琉球の芸能を育てた。冊封は政治であり、同時に文化の舞台でもあった。
将軍の代替わりには「慶賀使」、琉球の王の代替わりには「謝恩使」を江戸に送った。1634年から1850年まで18回。
一行は中国風の服と音楽で行列した。見物する人びとに「将軍のもとには異国の王も使いを送ってくる」と見せる、幕府の演出でもあった。
琉球の王権は、政治をする王と、祭りをする神女の二本立て。最高の神女・聞得大君には王の姉妹や娘がついた。
「をなり神」という考え方がある。姉妹には、兄弟を守る霊の力があるとされた。
1689年、王府は「系図座」を置き、士族の家ごとに家譜(系図)をつくらせた。家譜は王府に出して確かめてもらい、写しを家に置いた。
沖縄戦で多くの家譜が失われたが、写しが残っていた家もある。ご先祖をたどるとき、まず「家譜があるか」を確かめるのが沖縄流。
沖縄に多い名字(比嘉・金城・大城・宮城・新垣など)は、もともと地名。士族は治める土地(領地)の名で呼ばれ、それが名字になっていった。
琉球の士族は、中国風の「唐名」(例:向象賢)と、琉球風の名乗り(例:羽地按司朝秀)を持っていた。名前の付け方も「両属」だった。
記録に残るだけで、首里城は1453年、1660年、1709年、1945年、2019年に焼けている。
世界遺産になっているのは、建物ではなく地下に残る「城跡」のほう。
歴史学習帳シリーズ ― 沖縄編。地図の海岸線は Natural Earth のデータをもとにしています。色の範囲は手描きの模式図です。