色の範囲は流れをつかむためのおおまかな線です。正確な国境や支配範囲ではありません。
新羅は約1000年、高麗は約470年、朝鮮は約500年。王朝が長く続いた半島で、王たちは誰に「認めてもらって」力を握ったのか。時代を選ぶと、その頃の地図と「力の出どころ」が見えてきます。
個人の学習ノートです。年や数字、地図の境界はおおよその目安としてご覧ください。
色の範囲は流れをつかむためのおおまかな線です。正確な国境や支配範囲ではありません。
歴史学習帳シリーズの大きなテーマは「権力の移り変わり」。中国・日本・朝鮮半島では、権力者が正統性を手に入れるやり方がそれぞれ違いました。
天命を失った王朝に代わって、新しい家が皇帝の位そのものを手に入れる(禅譲・放伐)。王朝の名前が替わる。
天皇の位には手を出さず、天皇から官職や婚姻のつながりを借りて実権を握る。王朝は替わらない。
国の中は自分で治め、外では中国の皇帝に王として冊封してもらう。王位を力で奪った王も、すぐに冊封を求めた。冊封が終わった近代からは、南北がそれぞれ別の大国に認めてもらい、二つの国になった。
特定の時代ではなく、半島の歴史を通して出てくる仕組み。
中国の皇帝が周りの国の王に称号と印を与え(冊封)、王は貢ぎ物を持った使いを送る(朝貢)。
上下の形をとりながら、実際は「戦わない約束」と「交易の許可」の意味が大きかった。朝鮮は大国と付き合う形を「事大」、日本など周りの国との付き合いを「交隣」と呼び分けた。
中国の年号を使うことは、冊封を受け入れていることの表れ。逆に独自の年号を立てるのは、自立の宣言になった。
高句麗の広開土王の「永楽」は、碑に刻まれた年号として知られる。
朝鮮の王の名(世宗、英祖など)は、亡くなったあとに贈られる「廟号」。国を開いたり大きな功績のあった王に「祖」、国を受け継いで守った王に「宗」をつけた。
位を追われた燕山君・光海君は廟号をもらえず、王子のときの呼び名「君」で呼ばれる。
元の支配のもとでは「祖・宗」は皇帝だけの名だとされ、高麗の王は「忠烈王」のように「王」で呼ばれた。
朝鮮半島の名字は種類が少なく、金・李・朴の三つで人口の4割ほどを占める。同じ名字の中を分けるのが「本貫」(一族の始まりの土地)。
家ごとに「族譜」という系図を代々書き継いできた。名字と本貫が同じ人どうしは、かつて結婚が禁じられていた。
明が清に滅ぼされたあと、朝鮮では「中華の文明を守っているのは清ではなく自分たちだ」という意識が強まった。
外では清に認めてもらい、心では明を敬う。認めてもらう相手と、敬う相手が分かれたとき、朝鮮は文明の正しさで自分を支えた。
長いあいだ、公の文書は漢文で書かれ、朝鮮語を漢字で書き表す工夫(吏読)も使われた。1443年、世宗が訓民正音(ハングル)をつくる。
ハングルが公の文書で漢字と並んで正式に使われるようになるのは、1894年の甲午改革から。
歴史学習帳シリーズ ― 朝鮮半島編。地図の海岸線は Natural Earth のデータをもとにしています。いまの国境は細い点線で示しています(朝鮮王朝より後の時代)。